腰椎変性すべり症の記録⑧

 

色々な薬を試しつつ、もしも筋肉の張りや血流の悪さが原因の一つなら、普通の鍼灸は試したことがない!そう思って良さそうな鍼灸院を探しました。鍼灸を試して、これで最後だ。これで治らなければ手術だ!と、思っていました。

 

どうしてこれを最後に手術だと思えていたかというと、私の大好きな友達のアドバイスがあったからです。会うたびに痛みが増しているような私のことを心配してくれていました。

友達は、『これだけ頑張って耐えて色々試してみて、それでも何も効果が出ないならもう手術に踏み切るしかないんじゃない?』と言ってくれたんです。

私はこの先の長い人生、隣接椎間障害のことを常に気にし、手術したら何も思い切りできないじゃないかと手術をしたくない気持ちがありました。でもその友達が、『手術を受けなかったらこの状態が数年後良くなることはないよね。どんどん悪化していくなら手術したほうがいいんじゃないか』と言ってくれました。

 

旦那や実母、義母など本当に私のことを心配してくれていて、みんなどこかで手術したらいいんじゃないかという気持ちも少しはあったと思います。

でも、私の手術後のリスクへの不安な気持ちや、色々試したいという思いを、皆んな尊重してくれて、できるだけ手術じゃない方法でと考えてくれていました。

 

でもその友達にはっきりと言ってもらえて、そーだよな、、と手術なら覚悟も少しできました。(少しかい!笑)

 

そして、車で30分ほどかかる場所の医療機関と提携しているという鍼灸院へ。

 

 

続く⭐︎

 

 

腰椎変性すべり症の記録⑦

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結局そのクリニックには早々に手術を勧めてきたこともひっかかり、行くのをやめてしまいました。

 

そして、家から比較的近く、そこそこ大きめで脊椎の専門医、指導医などの先生がいる病院に行き薬を試してみることにしました。手術も頭にいれながら。

何種類か薬を試しては期待して、結局効かなくて、、の繰り返し。

なんだか昔妊活をしていた時の気持ちを思い出しました。

 

今更ですが、私の場合の症状の現れ方は、

朝起きるとまずうつ伏せで身体を丸くする。(これが色々試して私のあみ出した朝激痛回避の方法です。もし朝起きかげに歩くのが痛い方がいたらぜひ一度試してみてほしいです。)しっかり正座して前にうっぷして丸くなる。この状態で15分くらいいます。二度寝だけ注意です!この体勢に身体を持っていくまでが結構な激痛と戦わなければならないのですが、痛みが最小限で済むように足の動き方を探り探り。丸くなれたらこっちのものです。

そうすると少しずつ痛みが取れていき、嘘のようにスタッとベッドから降りられるのです。階段を降りるのもへっちゃらです。

 

そして動いていると血流が良くなるのか少しずつ楽になり、比較的午前中(調子のいい時は夕方くらいまで)は激痛にならずすごせました。ただ、それは気をつけながら過ごしたらという話で、どんな動きもできるわけではないし、走れないし、段々と身体の可動域も狭くはなっていました。

 

そして、夕方になると徐々に右足が太ももから親指の先まで痛むようになるのです。

これがこの数年でだいぶ変わってしまって、痛い痛いと言いながら何とか家事をこなしてた状態から、手術前は夜は立っていられないほどの痛みにかわってしまいました。

痺れることもありましたが、私の場合は痛み方が強く、どう表現したらいいのかわかりませんが、男の人が陣痛や出産を経験できない代わりにこれだけ辛いんだぞーと味わうならこの痛みかな。と思えるほどです。波はありますが、とにかくピークは黙っていても涙が勝手に出てきてしまうほどの痛みでした。

 

また、家の中で歩くよりも外に出ると一気に背中の筋肉がピキーンとひっぱらさり、足に痛みが走りました。

なので買い物も必ずカートを押していました。子どもたちは買い物に行くとまずは私のカートを我先に持ってきてくれて、本当に助かりました。

カートがないと歩けない。身体が、ぐにゃっと曲がってしまう自分の姿が悲しくてたまりませんでした。

誰がどう見てもこの人痛いんだな!ってわかる歩き方。子どもたちはどう思っているんだろう。。

本当に辛い毎日でした。

それでも負担になるのも嫌で、できるだけの家事はこなしていました。(手術近くにはもうお手伝いしてもらってばかりでしたが)

 

やることを終えて、布団に入るのが楽しみで仕方がなかったです。とにかく私は睡眠時間と痛みの減少が比例していたので、休みの日などで、たくさん寝れたら次の日少しは楽になりました。

とにかく夜になってみんなが、活動を、終えて布団に入りたい!そんなことばかり考えていました。

 

 

そして、そんなに痛みの強い中でもまだ手術ではない方法に期待を持っていました。

 

続く⭐︎

 

腰椎変性すべり症の記録⑥

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もう手立てのなくなった私。

痛くてストレッチもできないし、どうしたらいいんだろうと。。

 

ついに、絶対にしたくなかった『手術』の二文字が私の頭の中に浮かんできました。

 

私の骨の状態で手術になるなら腰椎固定術。

固定術は数年後固定した骨の隣に負担がかかってしまい、障害がでてきてしまう(これを隣接椎間障害というそうです)また隣の骨も同じような状態になれば固定しなくてはならなくなる。

この先まだまだ元気で動き回りたいのに、30代でそのリスクを背負うのは絶対嫌だと、手術だけは絶対嫌だと思っていたけどもう手術しかないのかな、、と不安ながらも腰椎固定術を検索し始めました。

 

 

そんな時に、またまたYouTubeで見つけた脊椎専門のクリニック。病院も全然行かなくなってしまっていたから、まずはここに行って前に言われたように色々な薬を試してみよう!と予約をとり受診してみる事にしました。

 

完全予約制で、その日のうちにレントゲン、MRIもあまり待つ事なく終わりました。

結果はわかっていますが、薬を出してもらうためには仕方がない。そう思いながらこの前撮ったばかりのレントゲンなどをまた撮りました。

 

診察で、そこの先生はこう言いました。

『この状態だと結局は手術をする事になるよ。若いうちの方が治りは早いよ。うちではこう言うに遊びのあるボルト(ガチっと完全に固定すると言うよりも、一部に遊びがあって動き、そのおかげで周りの骨への負担が軽くなる。結果、隣接椎間障害が起きるまでの時間が稼げる。通常のボルトよりも数年は負担軽減できるとの説明。)を使うよ。』

 

ん? ん? ん?

手術を勧めておる!!!!

初めてきた私にすぐ手術を勧めておる!!!笑

 

以前行った病院の先生の言葉が浮かぶ。

 

『すぐに手術を、勧めてくる病院じゃなければちゃんとした病院だよ!』

 

怖い。

これはダメじゃないか?と思ったけれど、せっかく来たし、レントゲンもMRIもとってもらった。

手術はできればまだしたくないんです。とハッキリ伝え、薬を出してもらう事にしました。

しかしここで大失敗。

出してもらった薬はタリージェ。神経障害疼痛の薬。 

 

もう何回も何回も整体やら病院通いするのに疲れていたので(一番疲れてるのは送り迎えひてくれてる義母でしょう)タリージェを、出せる分だけ出してくださいと頼み、3ヶ月分処方してもらいました。

 

効くと信じて疑わなかった私がバカでした。

 

ワクワクしながら1週間ほど服用しましたが、効果はなし。結構な値段のする薬。確か7000円超えてたかな、、もう涙も出てこない。バカタレ私。。。

 

続く⭐︎

腰椎変性すべり症の記録⑤

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札幌のSSS(スリーエス)!!もうここにかけるしかありませんでした。

三度目の正直だと思い、試してみる事になりました。

この時も周りの誰も反対する人はおらず、私がいいと思ったものを試してみるという事に周りの皆んなが賛成し、協力てくれた事は感謝しかありません。

 

旦那も20代から腰痛持ちですが、私は痛みをわかってあげられなかった上に、鍼灸や整体に高いお金を出して行こうとする事にネチネチ文句を言っていたような記憶もあります。そんな反省もあるので、この時旦那が痛みをわかってくれなくても、理不尽な事を言ってきても私もそうだったと少しは多めにみてあげられました。

それにしても人の痛みってなかなか共有できないなとつくづく思います。

仕方がないよね。自分が同じ痛みを知ると人にも優しくできるのかな〜。。

 

話はそれましたが、SSSでお腹を思いっきり押されたり、顔をゴリゴリされたり、前の無痛整体とは打って変わって痛い事づくしでしたが、治ると信じて頑張りました。

 

でも数回行っても変化がなくて、、ついにトレーナーさんも『これだけやって変化がないなら難しいかもしれない』と、、悲しくなってその場で泣いてしまったりもしました。。期待してダメで、期待してダメで、、その繰り返しにすっかり心も折れていました。

でも、そーやってはっきり改善は難しいって言ってくれた方が良心的だし、ありがたいです。

下手に治るよ治るよ詐欺をして(私が通ったところは本当に治してあげたいと思ってくれていると信じていましたが)辞めるタイミングが掴めないとだんだん半信半疑になってきてしまうし、お金もいつまでもあるわけじゃないので、、ほんとハッキリと伝えてくれた事は助かりました。

 

ただ銀座には兼子先生がいて、治療器もここにないものがあるから行って試してみる価値はあるよと言われました。

でもその時の私には札幌から銀座までの旅費をかけてそこまで頑張って治療する選択はできませんでした。

一回の治療で済めばいいけどそれもわからないし、子どもたちの事もあるし、何にせよ治るって保証はない。日帰りでも行けるよとの言葉に一瞬迷いもでましたが、そこは諦めることにしました。

 

そんなこんなで何も手立てのなくなった私。。あの頃は本当に毎日泣いてた。旦那や子どもたちが出ていった後一人になって泣いて、お風呂でも泣いて、、とにかくふとした瞬間に痛みから解放されない事や、何でこんな事になったんだろーって事や、これから末っ子が学校に入学したら働かなきゃって思ってたのにって事、とにかく不安で不安で仕方がない毎日でした。。。

 

続く⭐︎

 

腰椎変性すべり症の記録④

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YouTubeでも痛みや坐骨神経痛などばかり検索しているから色々おすすめがでてくるんですよね。

 

そんな中で、兼子ただし先生の神経系ストレッチというのが目に止まりました!!

私と同じ病名で、同じように痛そうなおばさまが、先生のストレッチで痛みが消えて泣いて喜んでいるんです。

もうそこから兼子先生のYouTubeを見漁りました!!同じ病名、同じような痛みの方達が完璧にではなくとも痛みが軽くなっているんです。

とっても痛そうな施術ですが、藁にもすがる思いで札幌の店舗を調べ、予約しました。

 

札幌駅の方なので、痛みでバス地下鉄に乗る自信もないので。いつものように優しい優しい旦那の母にお願いし、通う事になりました。

 

 

つづく⭐︎

 

腰椎変性すべり症の記録③

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急激にひどくなった痛みが出てからは、一日一日をなんとか乗り越えていました。

痛みに支配されてると言っても過言ではないほど、ずーっと痛みのことを考えてしまってました。

 

手術をしなければならないほど悪化した今になって思えば、活動できる時間(痛みが落ち着いている時間)もあり、気持ちに余裕を持ったらよかったと思いますが、痛いものは痛い。。

そして、先の見えない不安。余裕がないのに鍼灸や整体で使ってしまったお金の後悔。

子どもたちの学校、幼稚園行事のことや、土日のお出かけ、楽しみは楽しみですが、痛みが増すごとに不安が増えて行きました。

 

朝起きた瞬間から、また今日も痛みと戦うのか、、早く夜になってみんなが活動を終える時間にならないかな、、そんなことばかり考えるようになってしまいました。

不安はイライラにも変わり、痛みが強くなるとイライラの沸点が低くなり子どもたちにも優しくできない日々でした。

痛みって共有できないですからね、、どちらかというと私は痛くても限界がくるまでは普通に振る舞える方なので、ギリギリまで我慢して、買い物もして、みんなで出かけて、痛みがピークになったら急にイライラモードにはいる、、というか子どもたちや旦那は動けていたから大丈夫だと思っていつも通りあれこれ頼んできたりガンガン話しかけてきたり。

でも私は痛い。何でわかってくれないんだろうと悲しくなったり、誰が何をしてこうなったわけでもないのに八つ当たりしている自分が嫌になったり、、とにかく情緒不安定な毎日でした。

 

本当は無理なら無理。ママは今辛いと限界が来る前にちゃんと伝えたら良かったんですよね。

 

とにかくそんな自分も嫌で嫌で仕方がなかったのです。

 

そして、懲りずに検索魔の私は、ついにこれだー!と思えるYouTubeで見つけた兼子ただし先生の神経系ストレッチというものに出会いました。

 

つづく⭐︎

腰椎変性すべり症の記録②

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前回の鍼灸院には行くのをやめ、この痛みをどうしたらいいのだろう、、せっかくここで治すぞ!と意気込んでいたので光が閉ざされた気持ちでした。

 

すべり症、坐骨神経痛、腰痛、脊柱管狭窄症、治る、、、たくさんの検索ワードで何か良い方法はないかと探しました。

今思えば、痛みを我慢しながらではなくこの頃に効く薬を試行錯誤試してみたら良かったのかなと反省しています。

その時は、病院では痛みを抑える保存療法で、根本的に痛みの原因を取り除いてはもらえない!と、そんな考えになっていました。

もちろんその通りではありますが、自分に合った薬を見つける→効果があり、痛みが半減している時に体幹を鍛えるトレーニングやリハビリをする。というやり方がよかったのかなとも思います。

ただその頃の私は午後になると痛みが強くて、ストレッチすらままならない、右足の痛みを庇うようにして歩き、側湾気味になっていました。

特に横になったあとは起き上がってしばらくは激痛であるけないので、とにかく何かいい方法を見つけたい!と必死でした。

 

その頃、叔父に脊柱管狭窄症で手術してもらった先生がとってもいいから一度行ってみろ!とアドバイスをもらい、道内でも大きな札幌の整形外科を受診しました。

予約をし、診察をしてもらい、レントゲンをとり、結果は同じ。

でもその先生は『実は僕もすべり症なんだよね。痛くて看護師にバレてる時もあるよ。』と。

先生がすべり症でも私の症状が軽くなるわけではないことはわかっていますが、何だか仲間を見つけたみたいですごく心が軽くなりました。

そしてこの先生は痛みをわかってくれるという安心感に出会えたようなきがしました。

先生に、『耐えられない痛みがある時どうしたらいいですか?』と聞くと、『嵐が過ぎ去るのを待つ!!』と。

何とも何の解決策もない返事でしたが、不思議ですね。同じ痛みを知っていると言うだけで、その言葉もスーーーッと、自分の中に入ってきました。これを他の先生に言われたら『どれだけ痛いかわからないくせに』とムッとしていたと思います。笑

 

結局診断は同じで、先生は、『かかりつけの病院がすぐに手術を勧めてくるような病院でなければちゃんとした病院だと思うから、痛み止めにもいろんな種類があるし、自分に合うものを色々試してみたらいいよ。』と言ってくれました。

ここの病院は遠いので、手術を決断するまでは近くの病院で薬を試してみようと思いました。

 

そう思いながらも根本改善できる何かいい方法はないかと探していました。

 

そんな時、家の近くにある無痛整体という整体を見つけました。調べてみるとなるほどなるほど、、とどんどん気持ちが治るような気になっていき、そこへ行ってみる事にしました。

 

どんな場所かわからない所には電話するのも行くのもめちゃくちゃ緊張してしまうので、旦那に頼み、妻がこういう症状なんですが、そんな状態でも良くなりますか?と先に電話を入れてもらいました!笑

 

もちろん無理とはいいませんよね。

後日自分で予約をとり行ってみることにしました。

寝かされた状態で体をゆらゆらゆらゆら、、腕をほぐしたり、脇をほぐしたり、足をほぐしたり、、ゆらゆら、、。バキバキボキボキはやらず、こんな感じでゆーったり施術していく感じでした。

 

そこではあしくびの骨が変わった形をしていて、ここで血流が上手く流れなくなっている。続けて行って上手く血が流れるようになったら大丈夫とのことでした。

 

ここでもすがる思いで先生を信じて一回5000円ほどする整体に最初は週2.3来て欲しいとのことで何回も何回も通いました。

高いけど、今うちにそんな余裕はないのだけど、治したい一心でした。母や義母も通ったらいいと出してくれることもあり、それは本当に助かりました。

 

そこの先生は一回の施術は30分なのに1時間、2時間近くずーっと施術してくれることもあり、治らない私を不憫に思っているのと、治してあげたいと思ってくれてる気持ちは伝わってきました。

 

先生の言う通りの運動、ストレッチをしたり、お風呂にも30分ぬるめにつかったり、色々生活も変えてみました。しかし10回以上通っても全く効果は出ず、、またこれもダメかと落ち込んでしまいました。少しでも楽になったり効果がでてれば気持ちも違うんでしょうけどね、、。

 

通いながらも何かいい方法はないかと日々検索魔と化していた私。。。

 

つづく⭐︎